社風は創業数ヶ月にいるメンバーの性格で決まってきてしまい、創業後3ヶ月も経ってしまえばその会社には既に社風が存在すると聞いたことがある。正しい気もするし、正しくない気もする。
企業は栄枯盛衰を繰り返す。新機軸を打ち出した革新的なチームは成長して、その過程の中で更なる新機軸を打ち出す。そして社員数は増え、成熟する。その頃になると革新性をひっぱっていた経営者は投資家対策に追われていたり、革新することへの興味が失せていたり。そしてその企業はEdgeの利いたものでは無く、プラットフォーム・定番になる。それでも収益性は保たれるが、長い目で見れば腐食は始まっており、新たな新機軸を持った会社に噛み付かれる。
栄枯盛衰とはこんなもので、歴史は繰り返されている。最初企業が持っていた童心を成熟しても失わない企業は作れないものだろうか?企業における永遠のInnocent worldは存在しないのだろうか?当社はまだ成長段階で考えるにはまだ早いものだと理解しているが、この課題は常に付きまとうものであろう。
僕を含め今当社の社員は2社目以降の者ばかりである。これらの者たちがはらんでいる危険性は過去の常識だと思う。新たな風土を作る上で一度リセットしなくてはならない。ゼロベースで何が真実か?の思考が出来なくてはダメ。事実、他の企業を知らない学生起業家の社風は面白いものが多い、米国ではGoogle、日本でははてなやドリコムであろうか。過去の経験が成長に生きる時と阻害する時と両方存在する。それを知った上で良いところ取りをしなくてはならない。
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